日本航空学園の歩み一覧History
- 1932年(昭和7年)10月
- 甲府在郷軍人航空研究会を母体とし、航空発動機練習所開設。
- 1933年(昭和8年)2月
- 山梨県中巨摩郡玉幡村に40万平方メートルの飛行場を開設。
- 1936年(昭和11年)8月
- 財団法人 山梨航空研究会を設立し山梨飛行場を設置。
サルムソン機を使用して、飛行士養成を開始。所有機数10機。 - 1939年(昭和14年)7月
- 山梨航空技術学校設立認可を受ける。
- 1940年(昭和15年)4月
- 熊谷陸軍飛行学校甲府分校が設置され、飛行場を共用。
逓信省航空局より200名、南方航空岡9326部隊より300名の整備委託生を収容、
在校生2,000名となる。
卒業生は陸軍航空廠へ軍属として全員優先採用される。 - 1942年(昭和17年)1月
- 国家の要請により山梨航空機関学校と改称。
航空整備士養成の専門校となる。 - 1945年(昭和20年)8月
- 終戦により閉校。
- 1960年(昭和35年)3月
- 学校法人 梅沢学園、山梨航空工業高等学校の設置認可を受ける。
(学校教育法第一条による高等学校) - 1964年(昭和39年)6月
- 学校法人 日本航空学園、日本航空工業高等学校と改称。
- 1970年(昭和45年)10月
- 日本航空専門学校(各種学校)の設置認可を受ける。
- 1974年(昭和49年)1月
- 日本航空大学校と改称。
- 1976年(昭和51年)5月
- 日本航空大学校(専修学校専門課程)の認可を受ける。
- 1977年(昭和52年)3月
- 日本航空大学校竜ヶ崎分校は、日本航空操縦大学校となり、専修学校専門課程の認可を受ける。
- 1979年(昭和54年)8月
- 日本航空工業高等学校を日本航空高等学校と改称。
- 1985年(昭和60年)4月
- 日本航空高等学校に普通科を新設する。
- 1988年(昭和63年)4月
- 日本航空学園千歳校(専修学校専門課程)の設置許可を受ける。
- 1992年(平成4年)4月
- 日本航空高等学校の普通科を男女共学とする。
また自宅通学を許可する。
日本航空大学校の航空整備科、航空電子科、メカトロニクス科の3学科を日本航空学園千歳校と統合する。 - 1994年(平成6年)4月
- 日本航空高等学校の普通科を特別進学コースとする。
日本航空学園千歳校を日本航空専門学校と改称。 - 1995年(平成7年)4月
- 日本航空専門学校に空港技術科を新設する。
- 1998年(平成10年)
- 全国高等学校野球選手権大会春夏連続甲子園出場。
- 1999年(平成11年)4月
- 日本航空高等学校通信制課程が認可される。
- 2000年(平成12年)1月
- 米国日本航空大学(JAUA)がカリフォルニア州より法人として認可される。
- 2000年(平成12年)9月
- FAA(米国民間航空局)のキャッツセンター(学科試験場)として認可される。
- 2001年(平成13年)8月
- 第83回全国高等学校野球選手権大会出場 3回戦進出
- 2001年(平成13年)9月
- 第13回全国高校生銃剣道大会 全国優勝。
- 2003年(平成15年)3月
- 男子バレーボール部 全国高等学校選抜優勝大会(春高バレー)初出場。
- 2003年(平成15年)4月
- 石川県能登に日本航空第二高等学校開校・(専)日本航空大学校開校。
日本自動車専門学校が山梨県に開校。 - 2005年(平成17年)4月
- 日本自動車専門学校を日本航空総合専門学校と改称。
- 2005年(平成17年)8月
- 第87回全国高等学校野球選手権大会 3回戦進出。
- 2006年(平成18年)4月
- 日本航空総合専門学校を日本航空大学校山梨と改称。
- 2009年(平成21年)4月
- 日本航空第二高等学校を日本航空高等学校石川と改称。
- 2009年(平成21年)8月
- 日本航空高等学校石川、第91回全国高等学校野球選手権大会初出場。
- 2010年(平成22年)3月
- 日本航空大学校が国土交通大臣指定航空従事者養成施設となる。
- 2012年(平成24年)3月
- 建学80周年を迎える。
- 2012年(平成24年)10月
- 「建学80年特別航空祭」総合観閲式挙行。
- 2012年(平成24年)11月
- 日本航空高校 蹴球部 第91回全国高校サッカー選手権大会初出場。